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但東町の「秋まつり」とは? 丹後から来た、赤野の太刀振り。
「お祭り」と聞いてまず思い浮かぶのは、夏祭りかもしれません。けれど但東町でいちばん重んじられているのは「秋まつり」です。そしてその中に、峠の向こう——丹後から伝わってきた祭りがあります。
秋のまつりは、豊作を祝う神事。
但東の秋まつりは「農作物の豊作を祝い、来年の五穀豊穣も祈る」神事。これがいちばんのテーマなのだそうです。
かつては10月初旬の決まった日に開かれていましたが、いまは10月の第1週または第2週。合橋と高橋はおおむね1週目、資母は2週目が基本で、区によってはイレギュラーにずらす場合もあります。
丹後から但馬へ、そして赤野へ。
数ある但東の祭りのなかで、とりわけ興味を惹かれたのが「赤野の太刀振り」でした。
これはもともと丹後地方で生まれた祭りで、「悪霊退散」「無病息災」を願うのが習わし。丹後から但馬へ、但東ではまず奥藤に、そして赤野へと伝わり、昭和初期から続いています。

振り手が減っても、続いている。
元々は中学生・小学生が「振り手」を務めていました。いまはなかなか若手も減って、少し大きな「お兄さん」衆も一緒に頑張っておられます。
子どもたちにとっては、勇壮に太刀を振る姿がかっこよく、その振り手になれることはひとつの「誉れ」でもあったようです。神輿の担ぎ手、山車の引き手——お祭りの「花」を担うのは、やっぱり自慢だったのでしょうね。

但馬だけど、丹後でもある。
機織りもまた、丹後から伝わった「産業」です。
但東町は行政区分では但馬地方ですが、文化にも産業にも、多面的に丹後の影響が色濃く残っている——取材を通じて、それを改めて認識しました。峠を越えれば、そこは京都。この町を知るとき、その事実は思っているよりずっと大きな意味を持ちます。
もともと「お祭りは地元の人のもの」でした。けれどいまは人が減っていて、存続そのものが危ぶまれています。だからこそ、外からも観にきて、ぜひ参加してみてください。
この記事は TANTOカワラバン 紙版 Vol.03(2025年10月号) の掲載記事をもとに、Web版として加筆したものです。
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