但東町の若手“担い手”。 かばん、機織り、ピーマン。
かばんを縫う人、機(はた)を織る人、ピーマンを育てる人。但東町には、それぞれの分野で頑張っている若手の担い手(プレイヤー)がいます。案外みなさんご存じないかもしれないので、今回はその3人を訪ねました。
CASE 1|赤花・奥田喜志人さん — かばん
豊岡市はかばんの生産において「日本一」を標榜しています。但東町で生まれ育ち、大手メーカーで経験を積み、四十路手前で独立。赤花でかばん製造業を営むのが奥田さんです。
「かばんを縫う、作る技術は十分習得できました。お世話になった会社には感謝しています。これからはこの技術を生かして、誰にも負けないFACTORYを作るのが夢です」
好きなもの——ギターやマンガ、フィギュアなどに囲まれながらミシンをかけている姿を見ていると、こちらまで幸せな気分になってきます。これからも質のいいかばんづくりを期待しています。

CASE 2|中山(如布)・太田源一さん — 機織り
太田さんは高校まで但東。その後、大阪、東京、京都などで服飾関係の仕事に就き、30代はじめに但東へUターンしました。子どもの頃から機で織られる音を聞きながら育った——そのバックボーンが、戻るきっかけになったそうです。
「今の着物産業は厳しい状況。普通に織っているだけではなく、何か新しいサムシングを作り出さないと(産業を)残せないという思いは強いです」
静かに、そう語ってくれました。観光協会も担っていて、周囲はみな「げんちゃん」と呼びます。

CASE 3|口藤・能勢明宏さん — ピーマン
能勢さんも太田さんと同じくUターンです。北海道など、一度外に出て飲食なども経験し、赤花のご実家で農業をはじめました。
照準を当てたのはピーマン。昨年から個人で、但東町でハウス栽培をはじめています。「大借金ですー!(笑)」と豪快に笑いますが、続けてこう言いました。
「誰かがやると思うんです。それが自分だっただけです」
農業のブレイクスルーするポイントがどこにあるのかは、まだまだ分かりません。ただ、いち早く取り入れる姿勢には注目したいし、可能な限りバックアップしたいと思わせる雰囲気を持っています。奥さんも一緒に作っておられます。

狭い町だからこそ、つながっている。
ちなみに前述の太田さん、奥田さんは、能勢さんにとって小中の直近の先輩なのだそうです。
但東で働くということは、こういうつながりの中で働くということでもあります。「働く」のページでは、町のなかの仕事や会社のことをまとめています。